Excuse me

君が笑って 僕が支えて それでいいじゃないか なんて笑って

2013年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年08月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

小説とは何か&小説と音楽は似ている

小説は何か。物語は何か。

それは、何ともありきたりでつまらない回答だが、「疑似体験」だ。

僕たちは常日頃、平和に汚染され、平坦で絆された毎日を送っている。
違う、送らされているし、それを享受されているように教育を受けている。

何も起きない方がいい。そういう考えが頭に蔓延る。
日本人の気質だ。事なかれ主義。少しずつ少しずつ、平凡で無色透明な毎日が続けばいいと思っている!

だけど、頭の片隅ではそれに退屈していて、僕らは常々そんな壁をぶち壊してしまいたいと願ってる。
特殊能力を駆使したバトルや、思わず笑ってしまうような奇跡的展開の恋愛、恐怖の感情を呼び起こすホラー、
どれもこれも、自分にはないもの。つかめないものだ。

だから僕たちは、小説、ゲーム、アニメ、映画、その他もろもろでそれらを体験しようとする。
自分のモノにしてしまいたいと。

小説の仕事は、その欲求にこたえる事。なるべく忠実に、しかし飽きさせず、驚かせながら。
どこまでも貫く事。

例えばジャッジメント・エヴィデンスは、展開的にはソードアート・オンラインの二巻を意識している。
一定の力は持つものの、そこまで強くはない主人公(ヒロイン)。現状に不満を持っているが、自力では解決できない。
そこに現れる、謎の青年ゼルス。謎に包まれた人物だが、圧倒的な強さを誇る。

ここで湧き上がるのは「憧れ」だ。こうなりてー、という感じの。
突き抜けたカッコよさはそれを生む。

そしてもう一つ。ゼルスの強さを周りは知らない事が大切。むしろ舐めてかかるくらいがいいんじゃないかな。
そして読者はゼルスの強さを知っている。
こういう歯痒さが溜まっていって、最後ゼルスの強さに周りがびっくりしてばーーーん、どっしゃんがらがらーで全部解決して読者もストレス解消。

なんかさ、こうして書くとすげえ馬鹿っぽいけど、そういうもんだと行き着きました。
今更書き出すほどの事でもないかもしれないけど。
劣等生とか、SAOとか、そういうのによく使われる手法だけど、やってみるとしっくりくる。

あんまりやりすぎると、顰蹙買うんだけどね。

つまり僕が言いたいのは、自分が望む展開をバンバンいれときゃ、こう、ウケるんじゃねーんですか?っていうね
的外れだったら済まぬ。

ちなみに、ジャッジメント・エヴィデンスの世界観は僕の漫画がベースです。
ゼルスは黒ずくめで、剣を使いますが、キリトさんのパクりじゃないです。
彼が登場したのは2008年の事で、その時僕はソードアート・オンラインの存在すら知りませんでした。なので、あしからず。
コノハに関しては、風貌や生い立ちなど参考にしたキャラがざっくり3人くらいいます。
風貌2人、生い立ち1人の割合です。そっからさらに僕の独断と偏見と趣味を突っ込んで混ざり合って出来ました。




小説と音楽は似てる。
似てる。

似てねえよ!!!!!!

きっとそう思う人、たくさんいるでしょう。
僕もそう思う。

いや、思ってた。

まぁさ、飽くまで受け手の世界なら、全く別物化もしれない。
だけど、作り手の世界となると、話は別だ。

別に、創作者だとかクリエイターぶってるわけじゃねえよ。
そういうの、あんまり好きじゃないしな。
余談だけど、高校にそういう人がいて、結構イライラしたし。
だけど、話の都合上そういう立ち位置に置かせてくれさい。

最初に二次創作を始めたのが2010年春。
次に本格的に一次創作始めたのが2011年冬。
まぁ、なんというか月日は流れ、少しだけ慣れてきたかなってところまできた。

一時期は、ハチさんとかの影響を受け、「俺も曲つくったらー!」と一念発起してさ、曲を作ろうとフリーソフトもDLして、頑張ってみたわけですよ。

ま、結局歌詞提供するだけで終わるんだけど、いい経験にはなった。

ストーリー=歌詞
文章力=演奏力
描写=音の厚さ

みたいな。
小説はさ、やろうと思えばどこまでも描写厚くできるんだよ。
音楽は、まぁ有限かもしれないけど、それでもかなり大きく音を厚くできる。

なんつーか、こう、似てると思いました~wwwww
ああwwwなんかどうでもよくなったわwっうぇwwww

うぇえええいwwww

またな!
スポンサーサイト

| 未分類 | 03:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

理解エリア

世界にはたくさんのエリアがある。
エリアの中にエリアがあったりするし、なかったりもする。

人間には一定の範囲の理解エリアが存在していて、その中が価値観のプールとして確立される。

僕らは未知のモノに対して恐怖を抱く。
初めて見たモノに抵抗があるのは防衛本能の一環であり、また、ゲマインシャフト的な閉鎖的空間の中で育んだ価値観が拒否反応を示すからだ。

初めて見たアニメ、初めて聴いた音楽、初めての遊び、初めての経験、初めての空間、初めての食べ物……。
どれもこれも、今までの自分の価値観とは一切当てはまらないものであり、それ故アレルギーを起こすのだ。

しかし、我々には適応力があり、自然とその「新しいモノ」も受け入れられるようにできている。
僕らはそれを慣れと呼ぶ。

初対面の人物は、自分にとっては未知の存在である。
その人がAの分野において優れているとしても、自分の今までの価値観から判別すると、Aが優れているのは、「慣れ親しんだBさん」であり、その初対面の人ではない。
その乖離的なズレが、違和の正体であり、価値観のズレでもある。

しかしそのズレを修復していくことで、自分の中のゲマインシャフトは大きくなり、成長に繋がる。

僕たちは、日々自分の中のビオトープを大きくしていかなければならない。

さて、この乖離的な現象を無理やり埋める行動を出来る特殊な人間も存在する。
彼らは自分の中にゲマインシャフトを持っておらず、常に「自分:相手」という1:1の比較で判断する事が可能だ。
例えばある少女は、あらゆる分野において自分のステータスを100に設定できる。
相対的に、相手がどのような力量を持つかも瞬時に判別できる他、他者に対して特別な思い入れをする事もなく、常に公正公平な判断が可能。

そういう人材は、未知を恐れることなく突き進む事ができるから、成長の度合いがそもそも違う。
一般人が5進む間に20は進んでいるくらい違う。
その差は日々広がり続ける。

理解エリアは相互干渉を起こすと炎症が起き、特に色が濃ければ濃いほどにお互いに悪影響を及ぼすけど、彼らにはそういう心配がない。
でも彼らは、無色透明だ。それはないも同然で、理解エリアの幅が一県まるまる飲み込むほど大きくたって、誰にも気づかれない。


ま、こういうのは人間以上人外以下の人間が出来る行為。ふぅ。

| 未分類 | 18:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

理想と現実グラフ及び、文芸部の感想会まとめ

理想軸をx、現実軸をyと置く。
グラフが右上に行けばいくほどいいし、左下に近づくほど悪い。
でも、一番やばいのは、xの数値がyの数値を遥かに凌駕する事だ。
これでは、「こういうのが書きたい!」と頭で思っても、実力が追い付かないために、何も書けなくなってしまう。
逆にyの数値がxの数値を遥かに凌駕していると、その時点で満足してしまい、成長の余地がなくなってしまう。

やはりx=yのラインで進んでいくことがいい。
ま、少し理想先行くらいがちょうどいいか。

ちなみに今は、x=139 y=98くらいになってます。でもたまにバーストして、y=115くらいまで上がります。


7月3日くらいに、感想会というものがありました。
集まった部員は十名ほど?
七夕号の作品について、物申したり、雑談したり、わいわいしたり、まぁそんな感じの。

今回作品提出者が四人と非常に少なく、さらに感想会に出席した作者が僕を含め三人だったので、
七夕号の掲載順から、まず僕の作品が被爆する事になりました。

World End Astronautです。
http://werueru.web.fc2.com/ココ.html

ココという部分を、『地名英語+数字』にしてください。僕の中学校の名前ですね。
地名はローマ字じゃなくて、英語。数字は1文字です。
リア友限定と言うことで。すんません。

とりあえず大きく突っつかれたのが、設定でした。
細かなところまでよく読まれているのが分かり、嬉しい反面、ドキドキです。
後半の、スイッチ一つで空にドーンのところとか、日がささなかったら皆アルビノになるんじゃねーのとか、
七夕を知らないのに、サンタは知ってるのかとか、
そんな感じで問題点を十個以上も指摘され、しかも一つ一つ、全員が議論を行うんです。
僕は「なるほど」とか「もっともです」と言いながら、メモをひたすら取り続けます。

そしてやっぱり、ハヤブサのシーンは大きな波紋を呼びました。
これはぶっ飛んでる、という意見が飛び交う中、
「探査機はやぶさを揶揄してるのでは?」という、僕も考えてなかった意見さえ。

このまま傍観してたら、議論が大きくなると思い、
この作品は、過去に書いた複数の作品とリンクしている事、
そしてハヤブサも過去の作品の主人公なのだ、と説明。

さらに言えば、コスモや水の都の話もあります、というと、是非それを文化祭号に出そう、
むしろウェル単独で部誌作ってもいい、とまで言って頂きました。
流石にそれは出がらし状態になるので辞退。

先輩「私の嫌いな小説があって……」
周囲「おい……ざわ……ざわ……」
「ウェルくん!辛くなったら手を挙げるんだぞ!」
僕「は、はい!」
先輩「……ずっと会話が続く、ラノベ的なものが嫌いなのですが、これは文学的で良かったです」
一同「ほっ……」
とか、
先輩「コスモちゃんこの後どうなったの!?」
僕「し、死にました」
先輩「うわああああ、なんてことを!」
なんてやり取りもありました。

設定に荒が目立つものの、世界観やキャラクター、文章表現は好評で、「作品としてはかなり面白い」との総評。
にやにやしてしまいそうで、ずっとメモ取るフリしてました。

オチについても、「この世界観だからこそ、このエンディングがいい」という具合で、
前作のやや不評だった白黒回廊に比べると、満足して頂ける出来になったかな、と言う感じ。

惜しむらくは、締切との戦い、そして飽きとの戦いで、後半がジェットコースター並みの駆け足になってしまったこと。
次回は猶予がたっぷりあるので、ゆっくりきっちり頑張ってくれと言われました。

一応期待はされているようで、次回作も頑張ろうと決心。
なんだろう、年上に言われると、簡単に「おお、やった褒められた……!」受け入れちゃうんだよね。

なんか、こう、嬉しかったので思わずまとめちゃいました。テヘペロ

| 未分類 | 16:05 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

この街は映画館


今年は暑い。
例年は、なんだこんなものか、って感じで軽く流してたけど、
今年はやばい気がする。
熱中症被害者が、いつもの1.3倍になりそうな、そんな感じ。


ゲームを作った。
俗に言う、ノベルゲームだ。
選択肢もなければ、絵だってない。
夜11時に作り始めて、朝6時に完成した、曰く突貫工事の末の作品だ。
このゲームに、僕の言いたい事をかなり詰め込んだ。
78%くらい詰め込んだ。

まぁさ、こんな文章オンリーゲーム作るなら、ふつうに文章書けばよかったんでねーの?
っていう意見もあるかもしれない。
でも、それじゃダメなのだ。

見て貰わないと意味がねえ。

小説書こうが、日記書こうが、それは見て貰えないんだよ。
こう、どうすれば伝えられるんだろう、って考えた果ての方法が、
ゲームだったってわけだ。
ゲームだったら見て貰えるだろ。
見て貰えないんなら、それはもうしゃーねえ。
もう諦めるしかない、それほど距離が空いちまったんだってだけの話で、
俺はそれで納得できる覚悟があった。

ま、10人以上にDLしてもらったわけだから、御の字だよな。
何というか、こう、何か創って良かったと思えた。

言葉はさ、伝えなきゃ伝わらない。
待ちに待っては待ち惚けするだけでさ、
すれ違ったまま、月日は流れるんだ。

俺はずっと待っていた。
でも最近、それじゃダメだって気付いた。
ま、いろいろあんだよ。

このゲームは、俺の、最後の声だ。
さっきも言ったけど、これで届かないっていうなら、
俺はもう諦めるって決めたんだ。
声も届かないくらい距離が開いた仲間なんて、
それはもう意味ねえだろ?

当事者たちの声も貰った。
twitterの、見知らぬ人からの励ましも貰った。
高校時代の友人からもskypeで連絡が来た。

やっぱ、俺は恵まれてるなーってな。
声を掛ければ、それは返ってくるんだってさ。
反響じゃないぜ。きちんとした言葉で、意志で、返ってくるんだ。

想いは一つ。
心は一つ。

そんなわけで、一通り、締めくくりとして、記事を書いたってわけです。



人々は、飾られた不幸を眺めては、口々に叫んでる。
笑ってる。怒ってる。悲しんでる。
でも皆、楽しんでる。

殴られて笑う子供たち、信じる事を疑おうとする。
歪んだ日々を疑う僕ら、この街は、映画館のようだ。

| 未分類 | 02:34 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

アネハヅルの遊覧飛行

大陸は、大きな島だということを、私たちは知っている。
この惑星は、世界樹が支えているということを私たちは知っていた。
宇宙という概念を、私たちはいずれ知るだろう。

私たちの眼窩はいつだって真っ白であった。
時々雲の切れ目を覗いた時のみ、緑色や土色をした大地がその姿を露にする。
地上には寸分の興味もなかった。
ただ、空腹が襲い掛かってきた時だけは、雲を潜って地上に降り、大海を泳ぐ魚を腹に収めた。

私たちは常に高みにいた。
誰もが羨む、穹の支配者であった。
バウムクーヘンのように、幾層も重なった雲を突破する者は、滅多に居らなかった。
仮に居たとしても、長時間穹を飛び続けることは適わなかったので、結局穹は私たちが牛齧っていた。

私たちは、常に十数羽の群れを成して飛んでいた。
私たちが、惑星の観測者であり続ける以上、多数で飛び続け、時に少数を犠牲にしてでも障害を乗り越えなければならないのだ。

神様はよく泣き、よく怒り、よく笑った。
その度、雲は暗くなり、時に雷を落とし、そして日差しを与えた。

それは雲の下の世界のことであり、唯一雲の上の存在であったアネハヅルの私たちには一切関係のないことだった。
ただ、私たちは観測者であり続け、そして傍観者であり続ける。
それがアネハヅルの全てであったのだから。

| 未分類 | 03:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。